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ドア・引戸・折戸などの建具金物、クローゼットなどの収納の金具や家具金物、手摺や物干し金物など「住まいの金物」の製造、販売。

亜吐夢金物館が開館40周年を迎えました

  • 2020年1月20日

 

住宅用内装金物のショールームとして東京都港区新橋に開館しました亜吐夢金物館は、2020年1月にお陰様で開館40周年を迎えました。
1980年の開館以来、多くのお客様にご利用いただき、誠にありがとうございます。

日比谷通り新橋4丁目交差点角にあったビル(現在のCSタワーの場所)の2フロアでスタートした亜吐夢金物館も、現在は、アトムCSタワーの2階から5階に当社の新製品を含め、主力商品が展示されており、実際に触れ、動かすことにより商品の動きを確認していただけます。

また、2017年より住宅の間取りをイメージしたフロアや「老健」「園舎」をイメージした空間を開設し、実際の空間に近い状態で商品をご覧いただけるようになりました。

 

本年、4月16日(木)~4月18日(土)にかけて「2020春の新作発表会」を開催いたします。
新商品や新たな提案商品もご覧いただけます。是非ともご来場ください。

Thanks for the 10th anniversary (後編)

  • 2017年9月19日

2017年、お陰様でアトムCSタワーはオープン10周年を迎えました。
4月に開催した「春の新作発表会」では、1階ギャラリーショップKANAGUにて、記念展示を行いました。

この10年、様々な方がCSタワーを訪れ、金物業界のみならず、様々な方との出会いがありました。
そこでいくつかのキーワードとともに、時間を遡っていきます。

 

●亜吐夢金物館

 

1980年1月に現在のCSタワーの場所に、亜吐夢金物館がオープンしました。
選択者である建築設計者やデザイナー、ならびに最終需要家の「生の意見・要望」をいち早くとらえ、製品開発への資料源として活用し、あわせて金物に関する情報を提供する場としてご利用いただき、選択者・使用者側と提供者側との「相互の交流」を求めるためでした。
開館後は新製品発表会やインテリアコーディネーターや学生との勉強会など、様々な交流を図ってきました。

アトムニューズ121号では、ショールームに来館されたお客様についてご紹介しています。

ショールームには建築設計事務所の方、建具家さんなどの木工関係の方、インテリアデアザイナーや金物販売店、その他には一般のサラリーマンや、変わったところでは、外国人や外国大使館で働いている方とか、芸能人など多種多様な職業の方々がいらっしゃいます。
時々外国人や外国大使館の方がお見えになるのは、近くに大使館がたくさんある関係からだと思います。何をしにいらっしゃるかといいますと、取手などの金具の取り替えです。外国の方って家具をいつまでも大事に使うようです。
また、一般の方で、嫁入りなどの思い出が染み込んだ大切な家具が壊れ、あちこちに手を尽くしてやっと当社を探して来館された方から「あ~よかった」と心から笑顔を見せていただいたりすると、こちらもホントにうれしくなります。そんな時は、普段小さな金物がいつもよりずっと大きく輝いて見えたりします。

CSタワーに生まれ変わった現在では、金物を扱う方のみならず、幅広い業種の方々との交流へと広がっています。

 

 

●CS工房

 

2002年9月、亜吐夢金物館ビルを改装し、「CS工房」がオープンしました。
従来のショップ&ショールームに加え、独創的な商品あるいは事業を展開する住宅関連企業の方々のご協力を得て、住まいを飾るユニークで付加価値の高い商品を取り揃えました。

 

●CS

「CS」は一般的に、Customer Satisfaction(顧客満足)の意に広く使われていますが、アトムCSタワーのCSには「Circle & Square」といった意味も込めています。
サークル(○)は情報時代にあって「革新を追求する新事業」、スクエア(□)は長年に亘り培ってきた「伝統的な職人の精神と技術の既存事業」を表しており、アトムCSタワーの外観にも表現されています。

対極の形象である、円と正方形の有機的な結合のカタチは、異質なものが融合することによる新たな展開をイメージしたものであり、両者のバランスの中にこそ未来へつながる可能性があるのでは・・・そんな考えに由来しています。

●KANAGU

 

2010年12月、職人こだわりの金属の雑貨やインテリアを集めた「ギャラリーショップKANAGU」がアトムCSタワー1階にオープンしました。
ありがたいことに、ここ2年ほどはテレビ番組に取り上げていただく機会も多く、最近では今年の7月に「王様のブランチ(TBSテレビ)」で紹介していただきました。

ATOM’s TODAYでは、「ギャラリーショップKANAGU」のスタッフの皆さんに魅力について語っていただいた連載を掲載しております。

[KANAGU story01]「ギャラリーショップKANAGU」オープンに向けて

[KANAGU story02]職人との交流1 高岡職人との出会い

[KANAGU story03]職人との交流2 工場見学

[KANAGU story04]ギャラリーショップKANAGU

[KANAGU story05]メディアからの取材

Thanks for the 10th anniversary(前編)

  • 2017年8月21日

2017年、お陰様でアトムCSタワーはオープン10周年を迎えました。
4月に開催した「春の新作発表会」からしばらくの間、1階ギャラリーショップKANAGUにて、
記念展示を行いました。

この10年、多くの方がCSタワーにご来場いただきました。金物業界のみならず、様々なジャンルの方と交流させて頂き、新たな出会いがありました。
そこでいくつかのキーワードとともに、時間を遡っていきます。

 

●新橋

 

アトムCSタワー所在地の新橋近辺は名所史跡の多い土地です。
ざっと上げてみると、愛宕神社、鉄道発祥、東京タワー、最近では新虎通りも開通しました。
CSタワーの目の前には、忠臣蔵の浅野内匠頭終焉の地、田村家屋敷跡の碑があり、歴史ウォーキングで訪れる方もいらっしゃいます。

 

●芝家具

CSタワーがある辺りは、旧地名を芝・田村町といい、かつては「芝家具」で栄えた場所でした。

「芝家具」とは、この芝・田村町いわゆる芝地区で製造販売する洋家具のことで、優れた技術と古い伝統を誇る注文一品生産の高級品であることを特徴としていました。

洋家具が初めて日本に渡来したのは室町時代で、そのあと江戸時代にも入っていましたが、本格化したのは安政6年(1859年)横浜に外国人居留地が設けられてからでした。
当初はまだ生産は行われず、日本人は修理や流通に携わるだけでした。そんな当時、初代アメリカ公使ハリスの書記官ヒュースケンが芝の大工に椅子を作らせたという記録が残っています。たぶん日本人が初めて洋家具を作った記録だと思われます。

洋家具業が一つの産業として興ってくるのは明治に入ってからで、当時の文明開化の風潮に乗って他の欧米文物と同様、洋家具も近代・自由の象徴として上級階級から庶民へと浸透していきました。椅子・テーブル・西洋飯台(食卓)・書棚の4点が当時の洋家具の主なものだったようです。

このような状況のなかに「芝家具」は興ってきました。業者の多くは西洋古道具商と称した人たちでした。当時は現在と違って、古道具や中古品は皆があこがれる立派な商品でした。まして家具は耐久消費財ですから、業者は西洋人などから購入した商品で初期の需要は十分まかなえたようです。そのうち新品を扱うようになり、その製作に建具職人や指物職人が携わっていました。

「芝家具」の成立には地域的に有利な要因もあったようです。この区域は江戸時代には殆どが大名や旗本の屋敷でした。明治になって多くの武士が去り、私有地すべてに税がかかるようになると、これを分割して借地に出しました。つまり、居職人が住むのに新開地は都合がよかったわけです。
それにこの区域は街道沿いに商店街が栄え、金毘羅宮・烏森稲荷の門前町があり、赤レンガ街には勧工場(一種の名店街)ができ、明治5年には新橋駅も開設しました。近隣は官庁街・ビジネス街・商店街・貴顕の大邸宅等があって、店舗を開くのに有利であったわけです。
さらには、洋風建築が盛んに建てられ始めたことが「芝家具」興隆の追い風になりました。鹿鳴館(明治16年完成)をはじめ、明治20年代には多くの官庁や会社が建てられ、30年代には一般邸宅にも及びました。

明治に入って我が国においても工場制機械工業が始まりました。「横浜家具」が実用量産の道を歩んでいったのに対し、「芝家具」はハンドメイドの注文一品生産による高級洋家具を特徴とし、ようやく洋家具に対する審美的な要求を持ち始めていた東京の需要によく応え、順調に業績を伸ばしていきました。
関東大震災(大正12年)前後が「芝家具」の絶頂期だったようです。
その後、不況・戦時統制を経て、戦後再び復興しましたが、生活様式の変化等々時代の流れにより、残念ながらいまやかつての姿は全く見られなくなりました。

(アトムニューズ153号より)

 

後編は9月に掲載予定です。

 

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