アトムリビンテックのあゆみ ~ 製造販売スタート
大正5年(1916年) 髙橋良助商店と称し、製造販売を行なう
家具金物の販売に踏み切った大正5年(1916年)当時は、第一世界大戦中で世界中の工業国が二手に別れて戦っており、戦争資材の生産に追われて生活物資の生産まで手が届かず、代わって日本の産業がその供給にあたりフル回転をした時でした。
家具金物業界もその恩恵に浴し、家具問屋の景気はたいしたものでした。ところが、これを供給する工場すなわち職方に対する態度は、問屋が2、3軒で、いわゆる寡占状態のため、その利潤の配分を渋って従来通りの過酷なものであったようです。製品の重量に従って納入価格を一方的に決める方法を一向に改めず、ほかに収入の道のない職方の場合は実に惨めなもので、これが自ら製造販売を兼ねるに至った経緯でした。
製造に加えて販売も始めることになったが、製造業者各自が、ほとんど在来の問屋の傘下にあるのが当時の業界の常態であったため、自家製品は別として、その他の商品の仕入れには相当苦労した模様です。
そこで髙橋良助商店は、初期のうちは長火鉢、茶箪笥、鏡台、針箱、小引出し用金具等の自家製品を中心として販売していき、次第に仲間の職方の製品を入手して桐箪笥などの金物へと拡張していきました。
1916年の出来事
・アメリカでプロゴルファー協会設立
・東京浅草の帝国館が初めての映画プログラムを発売
・アインシュタインが一般相対性理論を発表
・夏目漱石死去
・原来復と小林栄が血液型と性格の関係について書いた論文を発表
アトムリビンテックのあゆみ ~ 創業
お陰様をもちまして、本年は創業110年となります。
そこで、創業当時の頃から少しずつ振り返ってみようと思います。
明治36年(1903年) 家具金物の製造業を創業
弊社、現社長の祖父 髙橋良助が東京市下谷区入谷町において創業。
明治から大正初期にかけての間は、まだ金物の販売は行っていませんでした。
御店(オタナ)と称していた家具金物問屋の傘下にあって、いわゆる指物類の金具の製造に
従事していました。
時には見込み生産も行なうが主として受注生産を行ない、火鉢、鏡台、針箱、茶箪笥などに
使用する、ほとんどすべての製品を納入していたようです。
指物とは・・・
木と木を組み合わせて作られた家具や建具、調度品などのこと。
1903年の出来事
・東京日比谷に日比谷公園が開園
・東京浅草に日本初の常設映画館「電気館」が開場
・ライト兄弟が初の動力飛行に成功
・内国勧業博(明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会)で
日本初のイルミネーションが登場
・早慶戦が始まる(野球)