アトムリビンテックのあゆみ ~ 昭和初期
昭和3年(1928年) 現在の本社所在地に店舗を建築
昭和3年秋、現在の社屋のある場所に1万円の工費をかけた店舗が完成。当時としては、業容に見合わぬと同業者から笑われるほどの大きい店であった。
喜んだのは傘下の工場で、たちまち店の棚を一杯にしてくれたという。
現在の本社と昭和通り付近の地図を、当時の地図の上に重ねました。
人手も自転車も増え、初めて電話が架設されると、需要家を対象にしていた商売には飽き足らなくなり、いよいよ卸売業を始めたのである。
商品の生産手段が進歩して一応の量産が可能となり、コストも低減できるようになった。これもまた卸商売を指向するに至った一因であった。
昭和10年(1935年) ダイカスト工法を導入し、ジュラルミン製取手を発売する
ダイカスト工法によりジュラルミンで取手を造り始めたのは昭和10年で、録音盤の成形型押しを手掛けた人物に依頼して製造させたとの話である。型代が、当時としては大枚の500円もかかったというが、砂型鋳造のものより仕上げがよく、また鋳込みのため取付用ねじ脚の固定も強く、好評を得て関西方面へ大量に売れ、型代を支払っても充分にペイしたとのことである。
1928年の出来事
・東京 上野の松坂屋で、新国風家具展が開かれる。
・横浜 崎陽軒、折箱入りのシュウマイを発売。1箱50銭。
・ミッキーマウスの最初の映画「蒸気船ウィリー」が公開。
・ラジオ体操の放送開始。
・野口英世、西アフリカで黄熱病の研究中に罹病して死亡。52歳。
1935年の出来事
・東京 築地に中央卸売市場が開設。
・文芸春秋社、「芥川賞」「直木賞」を設定。
・道路交通標識が全国統一される。
・初の年賀用郵便切手が発行。
・列車の車内販売が始まる。
アトムニューズ取材メモ No184編
6月に発行しました、アトムニューズ183号でお邪魔した「原宿駅」、「バー ドランブイ」の取材メモをご紹介します。
東京再発見
都内に残る最古の木造駅舎である原宿駅は、「神宮の森とマッチしている西洋風の駅舎」ということで、「関東の駅百選」に認定されています。
私も今まで気づかなかったのですが、表参道口にちゃんとプレートがありました。
原宿駅の他に東京で選定されている駅は、東京駅、上野駅、高尾駅、柴又駅、三軒茶屋駅などがあります。その他の選定駅は国土交通省関東運輸局HPの「関東の駅百選」をご覧ください。
After Hours
お店の入口には店名の「ドランブイ」がディスプレイされています。
こちらは、誌面に大きく掲載されたバーボンウイスキー「ブラントン」とキャップコレクションです。
18年かけて蒐集したバカラグラスのコレクションにうっとり。
100年前のグラスでカクテルをいただきました。飾ってあるだけじゃなく、実際にお酒を
いただける・・・。おいしいわけです!
DATE
■原宿駅
住所:東京都渋谷区神宮前1丁目18-20
■バー ドランブイ
住所:東京都足立区北千住1-37-1 山本ビル1階
Information
佐藤英行さんの描いた「バー ドランブイ」の原画を、アトムCSタワー4階エレベーターホールにて展示しております。CSタワーにお立ち寄りの際には、是非ともご覧ください。
入谷で富士登山
7/1より富士山の山開きですが、弊社のある東京都台東区入谷でも富士山の山開きがあります。
弊社近くの小野照崎神社の境内にある「下谷坂本富士」です。
江戸時代中期に富士信仰が盛んになり、江戸を始めとして富士講(富士信仰の集団)があちこちで結成されました。しかし当時の富士山はなかなか気軽に行ける場所ではなかったため、行けない人のために関東各地でミニチュア富士山が作られました。富士塚に登ることで富士山に登ったときと同じご利益を得られるとされたようです。
小野照崎神社の下谷坂本富士は、1828年(文政11年)、富士山から本物の溶岩を運んで築いたものと言われ、国の重要有形文化財に指定されています。
普段は門が閉まり立入はできませんが、毎年、6/30と7/1のみ登山することができます。
富士塚がある小野照崎神社は、小野篁(おののたかむら)を主祭神とする学問と芸能にご利益がある神社です。樋口一葉の「たけくらべ」にも「小野照さま」として登場します。
小野篁は、平安初期の公卿・学者・歌人で、小倉百人一首の「わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよあまの釣舟」を詠んだ人物です。また、閻魔大王の手伝いをしていたとの伝説もあります。
■小野照崎神社
住 所:東京都台東区下谷2丁目13-14
URL:http://onoteru.or.jp/