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ドア・引戸・折戸などの建具金物、クローゼットなどの収納の金具や家具金物、手摺や物干し金物など「住まいの金物」の製造、販売。

昭和30年当時の下町の商家

本社受付には、昭和30年当時の旧社屋を再現した模型があります。
こちらは社長 髙橋良一の幼少時の記憶を辿りながら再現したものです。

建物自体は関東大震災後の昭和3年に再建し、以来、業態の変化や従業員の変動等の理由から何度かの増築と改築を加えつつ、昭和47年まで使われましたが、昭和30年当時はこのような間取りになっていました。

 

①彫金作業場
通いの彫金職人が作業台に向かって終日座り込み、小ぶりの鏨(たがね)と金槌だけで、黙々と桐箪笥の飾り丁番に図柄を彫り続けていた。

②台所
台所には床下収納が設けられ、納戸前は女中連の食事場となっていた。

③風呂場
奉公人は近くの銭湯を利用し、この風呂場はもっぱら家人が使用していた。

④八畳間
一隅には帳場が設けられていた。食事の際には、主人を含めて家人と奉公人の隔てなく、一様に箸立ての塗り箸で食することが習わしであった。

⑤店先
桐箪笥金具のセット組みや荷造りなどが行われていた。荷造りは手作業で、リンゴ箱と荒縄に鎌、隙間を埋める古新聞紙などが使われていた。また、正月の祝いや従業員の酉の市の会食などもこの場で催されていた。

⑥商品庫
戦後は次第に卸売が主体となり、小売り客と接するカウンターは殆ど使われていなかった。当時は後方に、渋紙を貼ったリンゴの木箱を積み重ねた商品棚を設け、周囲の頑丈な木組みの棚も含めて、夏場の閑散期には金物で満杯となっていた。

 

⑦隠居の間
創業者の妻の居室で、長火鉢の向こうが日常の定位置であった。

⑧陸屋根から物干台まで
陸屋根には鉢植えや金魚池、ときには犬小屋などがあった。屋上の物干台は周囲が一望でき、隅田川の花火大会の折には、懇意の方々も招いて宴を張っていた。

⑨勉強部屋
永らく昵懇の間柄であった大工の棟梁に委託し、その手によって増築された部屋だが、当時としては珍しい発想の設計であった。

⑩客間
日常は当主の居間寝室でもあり、床の間脇には蓄音機が、違い棚には竹之内久一作の仁王像などが置かれていた。また、廊下を挟んで陸屋根へと続く憩いの場でもあった。

⑪十畳間
渋紙を貼ったリンゴ箱で作った書棚があった。出入りの職方を招く酉の市などの折には、これらを移動して襖もすべて取り払い客間と繋げた広間として活用していた。

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