「台所」は家のかなめ、食のもと

まだ台所に釜があり薪でご飯を炊いていた時代、多くの家庭の台所は土間にありました。つまり台所には火と煙の匂いが充満していた時代です。そこから台所は急激な変化を遂げ、家のインテリアの一部を担う現代のシステムキッチンへと進化していきました。まずは火と煙の匂いがした時代の台所のおはなしをしましょう。

肉を焼いて食べるようになる

人類の歴史をひもといてみると、サバイバルの狩猟生活をしていた時代、外や洞窟で火をおこすことは動物から身を守ることと暖をとること、このふたつがおもな目的でした。さらに肉を火で焼くことによる食料の保存とともに食べた肉の消化の促進が人類の健康に大きな変化をもたらしました。

食べる行為は、それぞれの文化を色濃く反映しています

土間でそのまま食事をとる人たち、また食卓に料理したものを運び食べる人たち、水上生活における、床がそのまま食卓となる人たち。
世界の食生活を覗いてみるとさまざまです。ただ共通していることは『水と火が使えること』とそれに加えて調理器具があることです。

囲炉裏(いろり)という食卓はとても優れた空間でした

囲炉裏の特徴は料理ができ、暖がとれ、また食材の乾燥や火の保存管理ができることなどが挙げられます。これらの機能に加えて人々が集う素敵な空間をつくり出していることに気が付きます。

平安から江戸時代へ

台所の語源は平安時代の台盤所(だいばんどころ)だと言われています。台盤とは料理を盛った盤(皿)をのせる台のことで、上流階級では調理場から食べるところまで料理を運んでいました。この形式は江戸時代の上流階級においても続いていました。
しかし下級武士などの家の台所は庶民と変わりませんでした。

明治、大正時代の台所

座って台所仕事をしていた時代から、立って家事をするようになるにつれて台所も変化していきました。
また、家族単位で食事を囲んで食べる習慣がこの時代からはじまりました。

台所に冷蔵庫がやってきた

初期の冷蔵庫は、木製で中に金属を張った二層構造になっていました。
上の部分に氷を入れ、下の部分に新鮮な魚や肉など傷みやすい食材を保存する画期的なものが登場しました。
冷蔵庫の登場は、人類が火と水を手に入れたことに次ぐ、台所にとってとても重要なことだったのです。

水道とガスそして電気が各家庭に入ってきた

直火で薪を燃やして煮炊きしていたものがガスコンロにかわり、電気炊飯器の登場も台所を一変させました。それに加えて水回りが井戸から水道に取って代わり、大きな変化をもたらしました。

小さな空間でも台所が作れるようになった

土間から室内に上がり込んだ台所は、昭和31年(1956年)、日本住宅公団晴海団地にダイニングキッチンとして設置され、ますます細分化されました。それに対応すべくアトムは近代化する日本の台所を住まいの金物で支え続けてきました。

出典:アトムニューズ195号 7-8ページ
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