玄関 Part1 「扉」

毎日、当たり前のように出入りしている扉(玄関ドア)ですが、じつは、明治時代以前には、一般の人たちの生活の中ではあまり使われていませんでした。
明治以降、扉は家の中と外を仕切り、住む人の安全を保つため、あるいは暖を取るために存在しそして住む人の財産を守るためのものとなっていきました。

狩猟採集の生活から定住生活へ

人間が洞窟などで生活していた時代から、テント(住宅)を持ち歩き移動していた時代では、まだ住まいの入り口などは、動物の皮や植物の遷移を編んだ布を吊り下げて外との仕切りとしていました。
その後、定住が進むにつれて、人々は、徐々に丈夫な木戸を扉として使うようになりました。

日本に扉の文化が入ってきたのは明治

明治になると西洋の文化が日本へ流れ込んできました。建築の世界でも時の政府や財閥はこぞって西洋建築を取り入れました。

昭和に建てられ始めた集合住宅では、扉が主流となった

昭和の初期には経済成長と共に都市近郊に集合住宅が建ち始め、三種の神器(洗濯機、冷蔵庫、テレビ)と共に玄関に扉が入ってきたのです。

ドアの開け方が日本と海外では違う

西洋の扉は内側に開きます。その理由は、人を内側に招き入れるという習慣からきています。しかしもうひとつの理由は、本気で入り口を防御するには内側に開く扉に中側からバリケードを築くほうが良いからだとも言われています。
日本の玄関では、靴を脱いで置く習慣があるため、外側へ扉を開けるようになりました。

近未来的、不思議なドア

芸術家のKlemens Torgglerさんの考案した扉。
発想を変えると、こんな扉も登場しています。

出典:アトムニューズ185号 11-12ページ
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